2012年7月18日水曜日

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書2

1018年4月 (初代当主―年齢:9ヶ月 1ヶ月目)

ささらノお焔様と私の間に出来た女の子―薙焔(なぎほ)と名付けた―と共に荒れ果てた京に私は帰ってきた。
朱点童子は京の北にある大江山を拠点として京を滅ぼそうとしている。神々も京に我が一族(今のところ私と娘だが)の屋敷を用意してくれた。
京について早々、娘―薙焔をつれ朱点童子一党の討伐に出ることにした。私にも娘にも時間がない。私の年齢は八ヶ月、娘が四ヶ月。私は長くても二年、生きれないと聞いている。
京には大江山以外にも朱点童子一党が根城にしている拠点が3箇所ある。
私と娘の初陣だ。戦場は慎重に選びたいが、どうせ三箇所とも行かねばならないし、どこがどいう場所かも分からない。エイヤと討伐は相翼院を選んだ。
私と薙焔は相翼院に向けて旅立った。
相翼院は京から数日の距離にある湖の上に立てられた巨大な寺院だ。
相翼院に入るには、小さな島を転々とつないだ橋をいくつも渡って行かねばならない。
父は剣の母は薙刀の達人だった、と聞いている。私と薙焔も両親と同じように剣と薙刀を使う、腕の差は相当なものだろうが。
私たちは抜き身のエモノを握りしめ、相翼院に続く橋を渡った。私は橋を渡しながら薙焔を励ますため声を掛けた、がその声が強張っているのが自分でもわかり後悔した。
橋をわたるとアッという間にそこかしこから妖怪が湖から上がってきた。河童、泥の化物、人魚の出来損ないが次々と襲いかかってきた。私と薙焔は必死で刀と薙刀を振るった。
数日後、数えきれない妖怪たちを斬り疲れ果てた私たちは、相翼院を後にした。正確には相翼院にの入口にすら辿り着けなかったが。
しかし矛錆の巻物や幾つかの武器などの戦利品を手に入れた。初陣としては上出来だ。
京に戻った時には5月になっていた。

1018年5月 (初代当主―年齢:9ヶ月 2ヶ月目)
今月は交神の儀を行う事とする。二人では心細い。
交神の儀とは神と交わるということだが、人間とは違うので色々と面倒だ。
だが人間と同じ所もある、まず相手を選ばねばならない。そして誰でも自由に選べるわけではない。
まずあるモノを奉納しなければならない。といってもそれはモノではなく形がない。”それ”は我々が切った妖怪たち―と言っても実際に妖怪たちの首を捧げるわけではない。
よくわからないのだが、我々が妖怪を斬ればその数と強さに応じて、何かがどこかに”それ”貯まり、”それ”を捧げる。
神の中にも序列があり(ここも人間と同じだが)、上の神と交神の儀を行うには”それ”が大量いる。
とりえず交神の儀を行うと聞いた使用人が―使用人は天界から遣わされたのもので人ではなく、天界との連絡役でもある―目録を持って来た。
目録には神の名の横に数字が書いてあり、使用人はそれを奉納点と言った。”それ”は天界では奉納点と呼ばれているようだ。
使用人の話によると私がもっている奉納点は285点だ。私は214点の福招き美也様と交神の儀を行うこととした。
ここから人間と違う。天界に連絡し、返答を待ち、奉納点を捧げる儀式、これは準備にも時間がかかった、そしてやっと交神の儀を行う。
結局、使用人と三人でそれに忙殺され、全てが終わった時には5月は終わっていた。