2012年7月20日金曜日

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書6

2代当主:山ノ下 1019年9月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:11ヶ月 1年6ヶ月目)

優勝した勢いに乗り、相翼院に討伐に出る。討伐隊はオレ、弓福、薙院、弓根の四人で一族総出である。
本殿までたどり着くが目立った戦果なし、引き続き相翼院の討伐を続ける。 

2代当主:山ノ下 1019年10月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:1年 1年7ヶ月目)

相翼院の本殿を彷徨う。
幾つもの座敷が橋で結ばれており襖を開ける度に妖怪を斬る。本殿に入り手強くなったが遅れをとるほどではない。
しかし彷徨っている内に時間だけが過ぎる。既に二ヶ月弱が経過した。帰還する事とする。
しかし戦果は大きかった怒槌丸の巻物と槍の指南書というものを手に入れた。
槍術の武芸書でこれで、我が家にも槍をエモノにする槍使いを育てる事が出来る。

2代当主:山ノ下 1019年11月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:1年1ヶ月 1年8ヶ月目)

オレの初の交神の儀を行う。相手は土の女神の木曽ノ春菜様。捧げる奉納点は1946点と今まで一番高い。
生まれた子供は剣士とするつもりだ。

2代当主:山ノ下 1019年12月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:1年2ヶ月 1年9ヶ月目)

今月もオレの交神の儀を行う事にした。相手は姉薙焔の母のささらノお焔様。子供は槍使いとして育てるつもりだ。炎のような激しい子供が生まれれば良いが。
来月は薙院の交神の儀をしようと思い、先にイツ花に相談したら、屋敷にもう部屋が無いと言われる。
確かにそのとおりで何とかしなければならない。

2012年7月19日木曜日

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書5


1019年3月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:5ヶ月 1年目)

相翼院の討伐から戻って直ぐに父上が倒れられた。イツ花が皆を集めてオレが二代目当主に選ばれたと伝えた。二人の姉を差し置いて何故と思ったが、姉二人は何も言わず私を御当主と呼んで頭を下げた。
こうなれば腹を決めるしか無い。
イツ花に「これより初代当主である父上の名、馳夫と名乗る」と伝えた。イツ花は父上が気がついたらその事を伝えると言って父上の看病に戻った。
オレは弓福に交神の儀の準備をするよう下知した。
その後一日も立たず父上の様態が悪化し、逝ってしまわれた。
何故オレを選んだか聞きたかったがその間もなかった。今際の際に言い残したのは、決して振り向くな俺の屍を越えてゆけだった。それも殆ど聞き取れないほどの弱った小さな声だった。たった数ヶ月前、七天斎 八起を討ったとは信じられなかった。
父上が逝ったのと入れ替わるように、姉 薙焔と愛染院明丸様の子が屋敷に来た。父上はこの子の来るのを楽しみにいしていたが間に合わなかった。薙院と名付け母親と同じ薙刀士として育て来る事にした。
父上が幾つかの言いつけをイツ花に託していた。この覚書を書くこともその1つで、あとは福弓の交神の儀の事だった。
お相手は根来ノ双角様とオレが決めた。交神の儀の準備の合間に薙焔に薙院の訓練を命じた。
交神の儀は滞り無く済み、当主としての初仕事を終えた。

1019年4月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:6ヶ月 1年1ヶ月目)

薙焔に薙院の訓練を続行させ、オレと福弓は九重楼の討伐にでるが目立った戦果なし。
京の街の商人に壱万両を寄付。

1019年5月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:7ヶ月 1年2ヶ月目)

根来ノ双角様と福弓の子が屋敷に到着した。弓根と名付けて、薙焔に教育係命じた。
オレ、福弓、薙院で相翼院討伐にはいる。薙院の初陣である。薙焔は少し心配そうだったが弓根を直ぐに使いもになるようにしたかったので我慢してもらった。
本殿までの道のりで斬った妖怪の一人尻子玉大将から神々しい光とともに白浪河太郎様が天界に戻られた。
しかしそれ以外は目立った戦果なし。5月も終ったが翌月も討伐を続行とした。

1019年6月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:8ヶ月 1年3ヶ月目)

相翼院討伐本殿まで辿り着くが、相翼院は広大だった。雑兵の妖怪どもを何体も斬ったがその全容は掴めず、帰還する。

1019年7月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:9ヶ月 1年4ヶ月目)

姉上、薙焔の老化が大分著しい上に身体の調子が悪そう気がかりだ。父上の時と同じだ。
オレ、弓福、弓根、薙院の四人で白骨城討伐に出る。
広い原野を抜けた先の白骨城に辿り着いたが2階までで帰還した。

1019年8月 (2代当主:山ノ下 山剣馳夫―年齢:10ヶ月 1年5ヶ月目)

白骨城から帰るとイツ花が暗い顔をして立っていた。
案の定、姉上の薙焔が倒れたとオレに伝えた。俺たちが駆けつけると直ぐに逝ってしまった。待っていてくれたのだろう。
今際の際に、自分が死んだら母親に当たるささらノお焔様が泣いてくれるのか笑って迎えてくるのか気にしていたが、果たしてどっちだったのか。
薙焔姉さんは、父上と一緒に初陣を迎えた古株だ。ずっと当主である父をそして私を支えてくれた。私にとっては姉と言うよりは母に近い存在だった。
好きだった焼き餅を最後に食べたがっていたとイツ花に聞いた、しかし死が近い老人に食べさられるものでもなく随分とイツ花を困らせたそうだ。
ずっと姉として母としてオレたちの我儘を聞いていた薙焔姉さんだ。最後に少しくらい自分も我儘を言ってみたかったのだろう。葬式には焼き餅を供えた。

葬式の後、朝廷が催す朱点童子公式選抜隊選考会に出場することにした。
京都中から朱点童子と戦う強豪たちが揃い御前試合を行う。山ノ下家は初出場だ。
勝ち抜き戦で争うのだが、初戦から最後まで苦戦せず優勝してしまった。
完全に拍子抜けだが、帝からお褒めの言葉と多額の報奨金に褒美を賜った。
その夜は父上と薙焔姉さんの仏前に褒美と報奨金を供え、宴を催した。

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書4


1018年12月 (初代当主―年齢:1年4ヶ月 9ヶ月目)
京の街の商人たちに3000両ほど寄付をした。
山剣の初陣である。九重楼討伐に同行させる事とする。
私、薙焔、弓福、山剣の四人。山剣は初陣とはいえ、これだけの人数で討伐に行くのは初めてだ。
心強い。薙焔と二人きりで討伐に赴いていた時の心細さが懐かしい。
二人でも九重楼の山道の妖怪たちに遅れをとることはなかった。
私たちは血煙を上げながら山道を駆け上った。山剣も初陣とは思えない働きぶりだ。やはり上位の神の子供だけのことはある。直ぐに私に追いつくだろう。
数日後、九重楼の門に辿り着いた。門から異様な気を感じる。初めての大物だ。
山剣は初陣だが、ここ数日の働きぶりをみて、やれると踏んだ。私たちは門に近づいた。
分厚い門が開き巨大な手足が生えた赤い達磨が出てきた。私たちより二回りは大きい。
弓福が前触れも無く矢を放つ。達磨の巨体に矢が刺さる。が刺さっただけだ。何の反応もない。
私と薙焔がほぼ同時に斬りつける。まるで岩だ。一瞬呆然とした。衝撃を感じた時には、地面に叩き付けられていた。気がつくと山剣が私に薬を飲ませる。落ち着いている大したもんだ。
薬は薬草と呪法で出来たもので飲めば、腕の一本や二本が斬り落とされても生えてくる。
「火車だ併せろ!」叫んだ。薙焔、弓福が頷く。火車という術がある、敵を炎で焼きつくす術だ。一人よりも二人、三人で術を念じて使ったほうが炎が大きくなる。山剣はこの術を使えないから、三人でこの術を併せる。剣では倒せない。
達磨の身の丈よりも大きい炎が奴を包む。並の妖怪ならこれで消炭になるところだが、炎の中から現れた達磨はまだ達磨だった。
しかし表情と焼け焦げた身体を見れば、わかる。殺せる。
何回目かの火車の併せの炎が達磨を焼いた時、達磨は焼け落ちた。こちらも達磨の豪腕で手酷い傷を負ったが生きている。
焼け落ちた達磨の身体から神々しい光が天に登っていった。
屋敷に帰ると使用人が教えてくれたが、達磨は元々神の一人で朱点童子によって妖怪に身を落とされていたということだ。私達と同じように呪いをかけられていたが、何かの拍子に呪いが解けたらしい。

1019年1月 (初代当主―年齢:1年5ヶ月 10ヶ月目)
身体の調子が悪い。老化が激しい。若い時より速い速度で老化している。普通の人間で言えば50か60といったところか。
今月は1年1ヶ月になった薙焔に交神の儀をさせる。孫の顔を見て逝きたいものだ。
愛染院明丸様を相手に選んだ。交神の儀の準備は三人もいればよいので他の者は討伐に出そうかと思ったが、儀式中に血なまぐさい事を身内がやるのも縁起が悪いと思い直した。交神の儀がある月は討伐を行わないとした。


1019年2月 (初代当主―年齢:1年6ヶ月 11ヶ月目)

もうこれが最後の討伐だろう。普段の半分も力が出ない。皆が心配しているが笑う。
一匹でも多く妖怪どもを斬ってやるつもりだ。来月は福弓に交神の儀をさせるつもりだ。ちょっとでも上位の神と交神させてやりたい。
最後の討伐は、私と薙焔の初陣の相翼院とした。初陣の時は薙焔と二人きりだったが、今では更に二人の子が私と戦ってくれている。その姿を観ていると、私は朱点童子に一太刀浴びせるどころか姿すら観ることができかなったが、それは私の子供が孫が成してくれると信んじられる。

2012年7月18日水曜日

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書3



1018年6月 (初代当主―年齢:10ヶ月 3ヶ月目)

薙焔と二人で朱点童子の拠点の一つ九重楼の討伐に出る。九重楼は山の上にある塔だ。
山道の妖怪を斬って斬って斬りまくり、九重楼の門に辿り着いた時には、私たち二人は満身創痍。
門を後にし、京に引き上げた。

1018年7月 (初代当主―年齢:11ヶ月 4ヶ月目)

福招き美也様と私の子どもが屋敷にやってきた。女の子で、弓使いとして育てるつもりなので福弓と(ふくゆみ)名付けた。
福弓はまだ幼い為、使用人に預け私と薙焔は鳥居千万宮に巣食う朱点童子一党の討伐に出る。
鳥居千万宮は巨大な神社だ。結局ここも境内の妖怪を山ほど切ったが本殿にはたどり着けなかった。
しかし火車と地鳴りの巻物が手に入った。

1018年8月 (初代当主―年齢:1年 5ヶ月目)

私が若草山萌子様と交神の儀を執り行う。

1018年9月 (初代当主―年齢:1年1ヶ月 6ヶ月目)

福弓が討伐に行けるほど成長したので、今回の相翼院討伐を初陣とする。
福弓、初陣だがその弓で数々の妖怪を討つ。
蛇麻呂の巻物も手に入れ戦果は上々だが、本殿には辿りつけず。

1018年10月 (初代当主―年齢:1年2ヶ月 7ヶ月目)

若草山萌子と私の子ども屋敷に来た。我が家、初の男児である。私と同じ剣士として育てよう。
山剣(さんけん)と名付けた。
今月も三人で九重楼討伐でる。が今回も九重楼には辿りつけず帰還。

1018年11月 (初代当主―年齢:1年3ヶ月 8ヶ月目)


先月に続き三人で九重楼討伐でる。が今回も九重楼には辿りつけず帰還。
戦利品に巻物のツブテ。

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書2

1018年4月 (初代当主―年齢:9ヶ月 1ヶ月目)

ささらノお焔様と私の間に出来た女の子―薙焔(なぎほ)と名付けた―と共に荒れ果てた京に私は帰ってきた。
朱点童子は京の北にある大江山を拠点として京を滅ぼそうとしている。神々も京に我が一族(今のところ私と娘だが)の屋敷を用意してくれた。
京について早々、娘―薙焔をつれ朱点童子一党の討伐に出ることにした。私にも娘にも時間がない。私の年齢は八ヶ月、娘が四ヶ月。私は長くても二年、生きれないと聞いている。
京には大江山以外にも朱点童子一党が根城にしている拠点が3箇所ある。
私と娘の初陣だ。戦場は慎重に選びたいが、どうせ三箇所とも行かねばならないし、どこがどいう場所かも分からない。エイヤと討伐は相翼院を選んだ。
私と薙焔は相翼院に向けて旅立った。
相翼院は京から数日の距離にある湖の上に立てられた巨大な寺院だ。
相翼院に入るには、小さな島を転々とつないだ橋をいくつも渡って行かねばならない。
父は剣の母は薙刀の達人だった、と聞いている。私と薙焔も両親と同じように剣と薙刀を使う、腕の差は相当なものだろうが。
私たちは抜き身のエモノを握りしめ、相翼院に続く橋を渡った。私は橋を渡しながら薙焔を励ますため声を掛けた、がその声が強張っているのが自分でもわかり後悔した。
橋をわたるとアッという間にそこかしこから妖怪が湖から上がってきた。河童、泥の化物、人魚の出来損ないが次々と襲いかかってきた。私と薙焔は必死で刀と薙刀を振るった。
数日後、数えきれない妖怪たちを斬り疲れ果てた私たちは、相翼院を後にした。正確には相翼院にの入口にすら辿り着けなかったが。
しかし矛錆の巻物や幾つかの武器などの戦利品を手に入れた。初陣としては上出来だ。
京に戻った時には5月になっていた。

1018年5月 (初代当主―年齢:9ヶ月 2ヶ月目)
今月は交神の儀を行う事とする。二人では心細い。
交神の儀とは神と交わるということだが、人間とは違うので色々と面倒だ。
だが人間と同じ所もある、まず相手を選ばねばならない。そして誰でも自由に選べるわけではない。
まずあるモノを奉納しなければならない。といってもそれはモノではなく形がない。”それ”は我々が切った妖怪たち―と言っても実際に妖怪たちの首を捧げるわけではない。
よくわからないのだが、我々が妖怪を斬ればその数と強さに応じて、何かがどこかに”それ”貯まり、”それ”を捧げる。
神の中にも序列があり(ここも人間と同じだが)、上の神と交神の儀を行うには”それ”が大量いる。
とりえず交神の儀を行うと聞いた使用人が―使用人は天界から遣わされたのもので人ではなく、天界との連絡役でもある―目録を持って来た。
目録には神の名の横に数字が書いてあり、使用人はそれを奉納点と言った。”それ”は天界では奉納点と呼ばれているようだ。
使用人の話によると私がもっている奉納点は285点だ。私は214点の福招き美也様と交神の儀を行うこととした。
ここから人間と違う。天界に連絡し、返答を待ち、奉納点を捧げる儀式、これは準備にも時間がかかった、そしてやっと交神の儀を行う。
結局、使用人と三人でそれに忙殺され、全てが終わった時には5月は終わっていた。

俺の屍を越えてゆけ 当主の覚書

私の名前は山ノ下馳夫。年齢は生まれてから8ヶ月だが呪いのお陰で既に成人している。あと数ヶ月もすれば老衰で死ぬ。二年も生きられぬと聞いている。 朱点童子という鬼が私に呪いをかけた。念のいった事に呪いは一つだけではない。子が残せぬ呪いもかけられた。 呪いを解くには朱点童子を討ち果たすしかない。が、朱点童子という鬼は強い。私の腕では遠く敵わない。しかし腕を磨く時間はない。そして悲願を子に託す事もできない。 しかし私の父はきっと私に朱点童子打倒の悲願をかけたであろう。 父はこの呪いのことを知る前に朱点童子にだまし討ちにあったと聞く。父を殺したあと朱点童子は私を捕え2つの呪いをかけた。 八方塞がり。 しかし神々が私を哀れに思い手を貸してくれた。短命の呪いはどうにもできないが、子を残せぬ呪いは”人とは”という条件付きなのだ。神と交わった子なら残せる。神々は私と交わることを許した。 さらに神々は私に武具や屋敷や使用人まで与えた。 そして神々は言った、朱点童子を討ち滅ぼせと。それが私の―私の一族の宿命だと。

2012年6月18日月曜日

ファイアーエンブレム 覚醒

メタルマックス2が終わってから、しばらく新しいソフトを物色していた。
最近、DSがぶっ壊れた。3DS買い替えの時が遂に来たと、3DS+ファイアーエンブレム覚醒を衝動買いした。
早速夢中で遊んだ。プレイ日記を書こうと思った、が、止めた。つまらない。
ファイアーエンブレムは死んだ。任天堂に殺されたのだ。ファイアーエンブレムを生み出したのも任天堂だが、その生命を奪ったのも任天堂だった。